• 土谷守生

スラロームが好きだったダウンヒラー 富井澄博


 1949年10月20日、長野県野沢温泉村生まれの富井澄博。野沢温泉中学から飯山北高校、日本大学といずれもスキーの名門の中で技を磨いてきた。とくに滑降に秀でていた富井は、日本大学時代に全日本スキー選手権で滑降3連勝するなど、この種目では国内無敵を誇っていた。 1972年札幌オリンピックに初出場して滑降22位、1976年のインスブルックと2大会連続出場を果たし滑降20位とオリンピックではダウンヒラーのイメージが強い。しかし、国内においては「国体男」と呼ばれ、これも大学時代3連勝を果たし、大回転でも強かった。  しかし、引退後富井にインタビューすると一番好きな種目はスラロームだという。「スラロームで優勝したのは引退する1年前くらいだったんですが、A級大会のホープ杯で優勝しました。それまで4位とか5位はあったんですが優勝はこの大会だけでした。もうこれで辞めてもいいと思った」というようにこの優勝は、“勝って当たり前”の滑降より嬉しかったようだ。  選手引退後、オーストリアにコーチ留学し、みごと国家検定トレーナーの資格を取得して帰国、ジャパンチームのコーチへ。1988年3月22日、ノルウェーのオプダルで行われたワールドカップのスラロームで岡部哲也が日本選手初の表彰台(2位)に立った。この日本アルペン界にとって歴史的快挙が達成された時のヘッドコーチが富井だった。シーズン後半の、しかも北欧での単発レースとあって日本の報道関係者は誰もいなかった。つまり富井は唯一の目撃者だったのである。 1998年長野で開催されたオリンピックでは、アルペン女子種目の競技委員長を務めた。  選手時代から、寡黙なタイプの富井。2013年1月19日、ひっそりとその生涯のフィニッシュラインを切った。63歳だった。野沢温泉村のスキー関係者の多くが知らなかったという、富井らしい最期だった。合掌

◆オリンピック  1972年札幌 滑降22位  1976年インスブルック 滑降20位/回転29位/大回転34位 ◆世界選手権大会  1974年サンモリッツ 滑降28位/回転失格/大回転33位  1978年ガルミッシュ 滑降51位 ◆全日本スキー選手権大会  1970年 滑降1位  1971年 滑降1位  1972年 滑降1位  1973年 悪天候のため滑降中止  1974年 大回転1位

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