• 土谷守生

不滅の記録を残したダウンヒラー 川端絵美



日本アルペン史に残る記録を残した世界選手権での滑降5位入賞のシーン。女性フォトグラファー大下桃子によるビッグシーンをスキーコンプの付録としてポスターにした 



 札幌市で生まれ育った川端絵美は、冬の札幌の子供が冬になればスキーをはじめる。ごくあたり前のようにスキーを楽しんでいたが、ジュニアの大会が多く開催されている北海道では、これも自然とチームに入ってレースに出るようになる。  川端は「サッポロモイワジュニアレーシングチーム」(通称モイワレーシング)に加入した。このチームは川端曰く、「すべてがシステマチックで指導方針からマテリアル選びまでしっかりしていて、日本でナンバーワンのジュニアチーム」だという。  ここでは、回転、大回転のトレーニングだけではなく滑降のトレーニングも本格的に行い、世界へ出ていくための基礎を作り上げてくれたのだと振り返る。札幌市内の伏見中学に進んだ川端は、メキメキ頭角を現し北海道の同学年ではすでにトップレベルにいた。川端とはじめて会ったのは、多分この頃だと思う。ジュニアレーサーの聖地ともいうべき歌志内市のかもい岳スキー場で行われている「かもい岳ジュニア大会」で、なにより滑りが力強かったという印象がある。  中学1年で全国中学に出場すると、回転は途中棄権したが大回転で2位と結果を残し、川端は名前は一躍「全国区」となった。当然のようにジャパンチームのジュニアに抜擢され、中学2年のニュージーランド遠征では、FISレースが開催されていたが、FISの出場年齢(15歳)に達していないため、前走に回り、当時出場していたアメリカのタマラ・マッキニーに1秒台でつける快走を見せて関係者を驚かせた。 川端の素質を高く評価したサロモン本社のレーシング担当から留学を持ち掛けられ、最初は気が進まなかったという。たしかに、中学3年の女の子が1人で言葉もわからないフランスに行くというのは、どう考えても無謀といえる。  しかし、最終的に「強くなりたい」一心で留学を決意、7月末にフランスへ渡った。現地、エンサの付属高校に入学し、多くのジュニア選手を抱えるチームに入った。そこには、後のワールドカップ通算8勝、2001世界選手権大会のスーパーGで金メダルを獲得したレジーネ・カバニューなども所属していた。そこでFISレースでは同じ年のデボラ・コンパニョーニ(イタリア)、ピカボ・ストリート(アメリカ)など後に世界の頂点を極めた選手たちと遜色ないレースを展開した。1970年代生まれの選手の中では、トップ5に入っていた。

 留学が1年を過ぎようとした時、足に痛みを覚え日本で治療した方がいいとアドバイスを受けて帰国。原因は脊髄から来ていると診断されたが、詳細は不明というもの。川端は、フランスへ戻るのをあきらめて日本でやることを決意、足の痛みもいつしか消えていた。

 1989年、19歳で迎えたアメリカ・ベイルでの世界選手権大会。川端は、ここで大変な快挙を達成する。日本は男女を通じてスラローム以外の成績はまったくない。それがダウンヒルで5位という誰もが予想しなかった快挙が誕生した。

 実はこの時、この快挙のシーンを日本のフォトグラファーでただ一人撮った人がいる。今も女性フォトグラファーとして活躍している大下桃子である。 日本から大勢のフォトグラファーが行っているのになぜ大下だけが撮影できたのか。それは、当日、あまりにも寒いため10時のスタート予定が11時に変更され、加えてスタート間隔も変更された。このインフォメーションがうまくメディアに伝わっていなかったためほとんどのフォトグラファーがゴールエリアに下りてしまった。 大下は、世界デビューとあって他のフォトグラファーが移動してもその場を動かず、必死にシャッターを切り続けていた。これがフォトグラファーとして“世界デビュー戦”即快挙という結果につながった。ヤマハは同スキー初の快挙に、翌シーズンの広告はすべて大下の写真でスキー雑誌を飾った。その関係で、川端と大下は時をこえて今も親しく付き合っている。

  その余韻が残る数日後、ワールドカップ転戦に戻り、カナダ、そして再びアメリカへ戻ってのダウンヒルのトレーニングラン最終日に、ジャンピングして着地した瞬間、左足の靭帯を断裂してしまった。  トップ選手としては致命傷に近い。川端も迷った。選手を続けるか引退か。しかし、周りの励ましもあって続行を決意、ドクターやJOCがつけてくれたトレーナーなどの献身的なリハビリを得て、なんとその冬には復帰していた。

 こうして迎えた1994年、オーストリアのサンアントンで行われたワールドカップで、日本のダウンヒル史上、前人未到の記録を達成する。このシーズン、暖冬の影響で長いコースがとれず異例の2本合計で競うダウンヒルとなった。第2シードの川端は、1本目6位につけた。そして2本目会心のランで優勝したオーストリアのアニア・ハスに0.16秒差、2位の同じオーストリアのレナーテ・ゲッチェルとは0.06秒差という僅差の3位に飛び込んだ。  ジュニア時代、モイワレーシングで基礎をみっちり叩き込まれ、フランス留学で世界の一流選手になるための技術を身に着け、靭帯断裂という大けがを乗り越えて、ダウンヒルという日本にとって実績のない種目で表彰台に立った川端。もうこの記録が破られることはないだろう。稀代のダウンヒラー、川端絵美の名前は日本アルペン史に永遠に残る。

 川端が世界で活躍することを心から楽しみにしていた父、栄作は一昨年6月4日、89歳で永眠した。世界選手権5位、ワールドカップ3位の快挙を見届けて……。

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