• 土谷守生

世界最長4290メートルを駆け抜けた 片桐幹雄


1970年代後半キッビューエルでのダウンヒルに出場する片桐幹雄選手


世界最長を誇るウェンゲンの登山電車のトンネル。上ここで日本選手最高となる13位、ラップとのタイム差1.50差と世界との差を一気に縮めた


 世界のダウンヒルコースの中で最も長い4290メートルを誇るウェンゲン(SUI)。1980年1月18日、レークプラシッド(USA)でオリンピックが開催される約1か月前に開催されたワールドカップ・ダウンヒルで、片桐幹雄はビブナンバー51番から日本選手初の13位入賞を果たした。この頃、スラロームが上位入賞するようになっていたため、新聞で大きく取り上げられることはなかった。しかし、その内容はアルペンスキー界において、特別な出来事だった。  なにしろ4290メートルというとてつもなく長い距離を、優勝したカナダのケン・リードに1秒50差という、それまでの日本選手のダウンヒル競技では考えられないタイム差だったからである。13位という順位以上に4290メートルも滑ってたったスキー2~3台分の差である。それまでの日本選手では考えられないことだった。

 長野県・野沢温泉村で生まれ育った彼は、飯山北高校2年の時に野沢温泉村と姉妹都市になっているオーストリアのサンアントンにスキー留学することになった。1973年にワールドカップデビューを果たした。「はじめて出場したワールドカップは、ラップに6秒から8秒くらいの差がありました。この頃の目標は5秒の壁を破ることでした」  しかし、レース以上に彼を苦しめたのは、最初の2年間は知らない土地での生活がかなり精神的な負担になった。スキーしか知らない18歳~19歳の少年が1人で生活しているのだ。「正直言って随分落ち込みましたね。ただ支えとなったのはオーストリアのダウンヒルチームと一緒にトレーニングできたことです。彼らとトレーニングすることを励みに生活面を含めたいろいろな問題は忘れることにしました。そうしたら気が楽になってレースに打ち込むことができるようになったんです」  無我夢中だった1973年のデビュー当時から、3シーズン後にはタイム差も3~4秒差にまで縮まり、FISレースでは1~2秒のところまできていた。そして迎えた1980年。シーズン前からレークプラシッドオリンピックを最後の舞台と決めていた。1月6日、後輩の児玉修がワールドカップで6位入賞を果たし、彼は大きな刺激を受けた。それから約2週間後、ウェンゲンのダウンヒルである。  「ゴールした瞬間、やったーという感じではなくこれで引退できる、と思いましたね」  オーストリア留学から苦節9年、引退する最後の年に“快挙”を達成、そして静かにレーシングピステを去った。  引退した翌年、彼を精神的に支えてくれた逸子さんと結婚、野沢温泉村で彼の留学先である「サンアントン」の名前でチロル風のロッジを2人で経営、今日に至っている。片桐、そして奥さんの逸子さんの人柄から現役選手、引退した元選手、サービスマンなどスキーメーカー関係者などがいつも集い、レースファンにはたまらない宿となっている。近年では、息子、健策の料理が各方面から注目され料理目当ての新しい客が増えているという。  片桐は現在、野沢温泉スキー場を運営している株式会社野沢温泉の社長という要職にあり、多忙な日々を送っている。

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