• 土谷守生

孤高のオールラウンダー、マーク・ジラルデリ

最終更新: 2018年12月15日




 世界最強のオーストリアチームを飛び出し、アルペン不毛の国、ルクセンブルグへ移籍して世界の頂点に上り詰めたマーク・ジラルデリ。コーチであり父親のヘルムートとオーストリアチームとマークの処遇について対立したのがオーストリアチームを離れた。実力がありながらいつまでたってもナショナルマンシャフト(トップチーム)へ昇格しないことに腹を立てたことがチームを離れる要因となったが、一方ではヘルムートがチームの方針に対してうるさく口を出すからという理由もあったようだ。  しかし、ルクセンブルグではたった一人のチームにお金を出してもらえず遠征や合宿の費用はすべて自己負担だった。それでも「オーストリアチームを見返したい」一心で耐えに耐えた。  そしてスラローマー、ジラルデリはデビューから3シーズン目にスラロームで初優勝を飾った。このシーズンを境に一気にブレークした。初優勝の翌年、スラロームで5勝をマークして種目優勝を果たし、世界のトップ選手の仲間入りを果たした。このタイトル獲得にこれまで全く金銭的支援をしていなかったルクセンブルグ政府が支援してくれるようになった。ここから先の活躍はご存知の通りだが、注目してほしいのがスラローマーからオールラウンダーへ転身したこと。  ツルブリッゲンのように高速技術系選手からオールラウンダーへの転身が多く、スーパーGはダウンヒルの要素があり、大回転はスラロームの要素があるのでトップレーサーにしたら転身するのは難しいことではない。それがジラルデリの場合、もともとスペシャルスラローマー。デビュー当時はスーパーGもダウンヒルにも出場したことはなかった。それが成績は出ていなかったが、スラローム初優勝した1983年に両種目にも出場している。父子が考えた「世界一」は種目優勝ではなく総合優勝することだという結論に至り、オールラウンダーとして挑戦することになった。  「オーストリアを見返したい」という反逆精神がみごと実を結び、ジラルデリは5度の総合優勝を果たし、17シーズンに及ぶ世界、そしてオーストリアを相手にして戦いは1989年、レーシングピステに別れを告げた。

◆ジラルデリの年表  1980 ワールドカップデビュー  1983 スラローム初優勝  1984 スラローム5勝をマークして初の種目別タイトル獲得  1985 初の総合優勝・種目別回転及び大回転のタイトルも獲得  1986 2年連続総合優勝  1987~1988 けがと長年の疲労蓄積による不振でトップシーンから姿を消す  1989 復活、3度目の総合優勝と滑降、複合のタイトル獲得  1991 4度目の総合優勝と回転、複合のタイトル獲得  1993 5度目の総合優勝と複合のタイトル獲得  ワールドカップ通算 46勝  世界選手権 金メダル4個  オリンピック 銀メダル2個

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