• 土谷守生

生涯ライバル 岩谷高峰と石岡千秋

最終更新: 2018年12月20日


岩谷高峰


石岡千秋



 岩谷高峰と石岡千秋。ともに「海和俊宏・児玉修時代」から「岡部哲也」までの間をつないだ名バイプレーヤーである。1985年、フランスのラ・モンジ―で行われたワールドカップ(回転)で岩谷が10位に入賞すれば、石岡も同年、ヘブンリーバレー(USA)で行われた最終戦で10位入賞を果たしている。  岩谷がワールドカップで15位以内5回を記録すれば石岡も4回と、ここでも互角の成績を残している。2人は青森県の名門、東奥義塾高校スキー部の同期で、ともに強烈なライバル関係にもあった。高校から社会人と成績も互角なら生き方もよく似ていた2人だった。  もうひとつ共通しているのは、「静かなるファイター」であること。普段は温厚な2人だが、ひとたびコースに飛び出すと豹変し、人を寄せ付けないほど集中する。お互いがライバルで、負けたくないという強い意識がモチベ―ションを高める。こうして切磋琢磨することで両選手はレベルアップしてきた。

 岩谷とは、まだスキーコンプを出す前のスポーツ業界新聞の記者時代、海和のいる三井物産スポーツに入社したばかりの時にはじめて会った。  神田にチエスポーツ(後のカンピリオ)というスキーショップがあった。三井物産スポーツから近かったこともあって岩谷はサービスマンに連れられてよく訪れていた。そのカンピリオが谷川岳のマチガ沢で「チエスポーツカップ」を開催した時のこと、同店がロシニョールを販売していることから岩谷の前走をお願いしていた。しかし、大会前日の帰国で大丈夫か、とみんなで心配していたところ「遅くなりました」と元気な声で岩谷が斜面を登ってきた。その数分後、フルアタックの前走に参加者たちは大喝采。この岩谷の律儀な行動に大会は大変盛り上がったことをよく覚えている。

(ワールドカップは15位以内) 岩谷高峰主なリザルツ  オリンピック 1984サラエボ SL途中棄権/GSL25位  世界選手権  1982シュラドミング SL18位/GSL24位  ワールドカップ1983富良野 SL12位          1985ラ・モンジ― SL10位          ウェンゲン SL13位            セストリエール SL15位          1986マドンナ SL15位



 石岡とはじめて会ったのは、スキーコンプ創刊直後(1980年)、浜松市にある所属する日本楽器製造本社だった。担当者に、アメリカ留学から帰国する日を聞いてインタビューに行った。第一印象は素朴な好青年といった感じで、ここも岩谷と大変似ていると感じた。石岡は、時間をかけて質問ひとつひとつに丁寧に答えてくれた。  ピアノが置いてある部屋だったが、インタビューが終わるとおもむろにピアノの前に座り曲は忘れたが、弾いてくれた。激しい戦いをしている男とは思えないほど温和な表情が印象に残っている。  今から数年前、スキー関係者の葬式が東京であったが、石岡と何十年ぶりかで会った。こちらは気がつかなかったが、「土谷さん、お久しぶりです」と声をかけてくれた。選手時代と変わらない表情を見て、なぜかホッとしたのを覚えている。

 石岡千秋主なリザルツ  オリンピック 1988カルガリー SL途中棄権/GSL31位  世界選手権  1985ボルミオ SL途中棄権         1987クランモンタナ SL18位/GSL途中棄権  ワールドカップ1985バドビースゼー SL13位            キッツビューエル SL11位            ヘブンリーバレー SL10位         1986クラニスカゴラ SL11位

  • Facebook - Grey Circle

Copyright© SNOWGEEK All Rights Reserved.