• 土谷守生

組織の中で戦ってきた 古川年正


古川夫婦が営む野沢温泉のぺンション・シュネーでくつろぐ2人。今年3月撮影


ヘッドコーチ時代。左は海和俊宏選手


 「年さん」の愛称で長年アルペン界をSAJ、JOCという組織の中から支えてきた古川年正。彼とは北海道出身、年齢と血液型が同じという共通項があり、スキーコンプ創刊以来、ジャパンチームのヘッドコーチという立場で今日まで付き合ってきた。昨年、同じ70歳でSAJとJOCの理事を引退、両団体の重責から解放され、また頻繁に東京と野沢温泉を行き来する身体的負担からも解放された。今は“留守”にしていた野沢温泉のペンション・シュネーの“オヤジ”に戻り、お客さんの送迎から接待、スキーの案内まで本来の仕事をこなす毎日は充実しているようだ。

 古川は、北見枝幸出身で高校は札幌の北海高校を経て北海道の選手憧れの野戸恒男がいる芝浦工業大学へ進む。ここで柏木正義、北海高校の後輩、鈴木謙二が加わって「芝工大 最強チーム」が構築された。インターカレッジの勝者が日本最強選手と言われた時代、古川と鈴木でワンツーならぬワンワン(同タイム1位)という快挙もあった。  古川は、1972年札幌オリンピックの開催が決まってから強化選手に選ばれワールドカップの出場、そしてオリンピック2年前の世界選手権(バルガルディ―ナ)に出場、回転19位の成績を挙げている。この世界選手権は、奥さんの美雪さんも1966年のポルティーヨで行われた世界選手権に続いて出場しており札幌オリンピックの強化選手にも選ばれていた。  札幌オリンピックを1年後に控えた1971年、古川は骨折するというアクシデントに見舞われた。それでも何とか間に合わせて初のオリンピック出場を果たした。結果は「回転途中棄権」で終わってしまった。  オリンピック、世界選手権、そしてワールドカップと世界の3大大会に出場することは、今と違って簡単ではない。札幌オリンピックがなければ、ワールドカップの参戦も、もっと遅れていたかも知れないし、派遣される選手も少なかったと思う。そんな中で3大大会の出場は日本を代表する選手の証しであり、その点から言っても古川は間違いなくこれに当てはまる選手だ。  しかし、彼のアルペンスキー界の功績はむしろ現役を引退してからだと思う。ヘッドコーチを10年以上、アルペン部長を4年、そして専務理事を務め、JOCの理事に就任してから冬季選手の強化担当として約8年。その間、日本選手団副団長として挑んだ2014年ソチオリンピックではスキー史上最高となる7個のメダル獲得する快挙に、スキーの最高責任者として大きく貢献した。  昨年の9月15日、70歳を過ぎてSAJ事務局・広報を引退する時、事務局による退任の飲み会で理事として唯一顔を出してくれたのが古川だった。友人として、アルペン界の仲間としてこれは嬉しかった。今年3月、インターカレッジの取材で野沢を訪れた際、時間をみつけて彼に会い、河野博明とも合流して久々に一杯やったが、そこには激務から解放されたにこやかな顔の古川がいた。

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