• 土谷守生

靭帯断裂の挫折を乗り越えて五輪4位 皆川賢太郎




 皆川は2度靭帯を断裂している。そのたびに「皆川は終わった」と囁かれていた。しかし、その逆境にもあきらめることなくチャレンジ、そのたびにワールドカップへ戻ってきた。最初に上位入賞したのは長野オリンピックが終わった2シーズン後の2000年だった。キッツビューエル(AUT)で6位、ピョンチャン(KOR)でも6位に入賞、その翌シーズンも6位、8位、10位とここまでは順調だった。しかし、その次の年に靭帯断裂というアクシデントに見舞われ2002年から2004シーズンまでリザルツに名前が載ることはなかった。  並みの選手なら引退していてもおかしくないこの事態にも、皆川は常に前を向いていた。多くの関係者は復帰できても上位入賞は難しいのではないか、という見方をする中、2005年、みごとに結果を残した。クラニスカゴラ(SLO)で7位と、2001年以来4シーズンぶりに上位入賞を果たした。それもノーシードから自身初のラップタイムに0秒93と念願の1秒を切る素晴らしい内容だった。  そして迎えた2006年、トリノオリンピックのシーズンである。12月のレースは第1シード入り目前に迫っていたものの結果を残すことができなかった。しかし、年明けのウェンゲンで26番から1本目、ラップタイムのベンジャミン・ライヒ(AUT)に0秒95差の7位につけ、2本目さらに攻めた皆川は、セカンドラップをマークして4位と自身最高となるランクとタイム差0秒62もこれまで“最小差記録”を同時に手に入れた。  この勢いは、この後も続きシュラドミング(AUT)6位と上位入賞を連発し、その調子を持続したままトリノオリンピックを迎えた。ビブナンバー11番と“一発”が狙えるスタート順を得た皆川は、1本目、ラップタイムに100分の7秒差、サードラップをマークして3位につけた。日本選手の1本目3位はこれまでの最高ランク。銀メダルを獲得した猪谷千春は1本目6位だった。  否が応でも期待は高まる。2本目失敗を恐れず攻める皆川は、途中、ブーツのバックルが外れるアクシデントをものともせず、攻撃的な滑りを展開した。しかし、銅メダルのライナー・シェーンフェルダー(AUT)に100分の3秒届かず4位だった。  メダルは獲得できなかったが、7位に入賞した湯浅直樹とともに銀メダル獲得から実に50年ぶりの入賞を果たした。トリノ以後再び靭帯を断裂したがここでも復活してみごと2010年バンクーバーオリンピック出場を果たした。成績はもちろん、あきらめずに戦ってきた精神力の強さは、けがに悩む選手たちに夢と希望を与えるという大きな功績を残した。  今は、全日本スキー連盟の常務理事、そして競技本部長として主に低迷する「アルペン再建」に取り組んでいる。

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