• 土谷守生

WC史上最大の“事件” ノーシード選手の反逆



 1985年のワールドカップ富良野大会は男子のスピード系が行われた。3月2日に滑降、3日にスーパーGが行われるスケジュールだが、“事件”は3日のスーパーGで起きた。全長2030m、標高差600m、最大斜度34.31度、平均斜度16.28度のコースにミニマムぎりぎりの35旗門がセットされた。  その35旗門のうち大半がクローチングターンが組めるためターンのうまいダウンヒラーに有利なコースとなっている。  ところが、である。前日の滑降から降り続いた雪でコースは柔らかい。スタートの10時30分になっても小雪がちらつき晴れる気配はない。しかし、レースは予定通り定刻にスタート、ゼッケン1番のP・ツルブリッゲン(SUI)が快調に飛ばし、実力どおりスピードを維持したままゴール。タイム1分30秒80、後に続く65選手中誰一人としてこのタイムを破ることができなかった。  しかし、彼は勝利を手にするには少しだけ速く滑りすぎたのである。32旗門直後のジャンピングポイント、ここは次のブラインドに向かってエアターンを必要とするこのコース最大の難所でありコース最大の見どころでもある。ツルブリッゲンは次の33旗門に向かって真っすぐに飛んで行ってしまった。旗門不通過である。あと30センチ左に飛んでいれば優勝していた。  優勝候補の一角、マーク・ジラルデリ(LUX)は4旗門目の右ターンで尻もちをついて大きくタイムロス、優勝圏外から去ってしまった。  しかし、ここまではめずらしくもない。ほんとうの“事件”はこれからである。この時点でラップタイムをマークしたのはハンス・ヱン(AUT)だが、トップシードが終わり20番代に入っても雪が降り続きまるで夕方のように暗い。とにかくスキーが滑らないのだ。ところが25番を過ぎるあたりから天候は回復し、柔らかかったコースはみるみる締まり出し、トップシードの選手はどんどん下位シード選手に抜かれて行く。スキーがあきらかに滑り出し、遅いスタート順の選手たちは色めきたっていた。  結局トップシード選手たちはノーシード選手に次々抜かれて43番スタートのオーストラリア(オーストリアではない)のスティーブン・リーが27番スタートのマーラーと並んで同タイム優勝を果たした。  15位以内にトップシード選手がひとりもいないというワールドカップの歴史の中で“事件”といってもいい最大の波乱が起きた。  H・ヱン16位、A・ウェンツェル22位、M・バスマイヤー24位、J・フランコ35位、T・ビュルグラ―41位、B・フェルビンガ―43位、M・ジラルデリ46位、M・ハングル59位、ツルブリッゲンは失格という結果である。

 ペナルティポイントは19点台とFISジャパンシリーズ並みとなってしまった。国内で起きた歴史上の大波乱を目撃した閲覧者も多いのではないだろうか。マーラーはこの後、トップダウンヒラーとなったが、リーはこの一発で数年後、ワールドカップの舞台から姿を消した。  写真をみていただきたい。

上はゼッケン27番のダニエル・マーラー、下は43番のスティーブン・リー。背景の明るさがこれだけ違う。

※国名の後の数字はゼッケン番号 1位/S・リー(AUS) 43 1位/D・マーラー(SUI) 27 3位/B・ステムル(CAN)64 4位/I・マルツォーラ(ITA) 31 5位/M・マイル(ITA)33 6位/K・アルピガー(SUI)42 7位/S・ウイルドグルーバー(BRD)58 8位/G・エルラッハ(ITA)34 9位/P・ロート(BRD)25 10位/H・レノート(BRD)32 11位/A・ギド―ニ(ITA)41 12位/R・フーバー(AUT)46 13位/B・D・ジョンソン(USA)51 14位/D・G・ルイス(USA)47 15位/P・ベルヌレ(FRA)39

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